出石そばの歴史
関西屈指のそば処として知られる兵庫県豊岡市出石町。
その歴史は、約300年前にまで遡ります。
宝永3年(1706年)出石蕎麦伝来
出石そばの歴史は古く、約300年前の江戸時代中期宝永3年(1706年)1月28日にお国替えにより、当時の藩主松平忠周と信州上田藩仙石政明が入れ替わりとなった際に、信州そばの職人により伝えられたとされています。
宝永3年といえば、ちょうど忠臣蔵の討ち入り(赤穂事件:1703年1月30日)の3年後ですね。
忠臣蔵で有名な大石 内蔵助の妻りくが同じ豊岡市内(当時は豊岡藩)の出身です。
信州そばの伝搬
信州は米や麦の栽培に適さず、古くからソバが育てられており、そば切りの先進地域でもありました。
信州そばはその歴史を背景に昔からの特徴を伝えており、丸打ちの技法などもその一つとされています。
現在の江戸流の蕎麦は、効率的で合理的な角打ち(四角く延ばす打ち方)で打たれ、小間板を使用して細く細く切るそばが主流です
出石のそば職人も多くが丸打ちをしていますが、中には角打ちを取り入れている方もいらっしゃるのが現状です
信州そばが伝播した例としては、出石そばをはじめ、出雲や会津などが挙げられます。